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SACDにみる人間の退化 [音楽とAudio]

数年前のとある日、オーディオショップの店頭でSACDの再生を聴いた。
素晴らしい音の切れと拡がり。 
ショックだった。 あれがオーディオの再生というならば今まで聴いていたものは何だったのか?
しかし・・・それはあるレベル以上のハードウェアが揃って初めて聞こえてくる、やくざな世界だった。

・・・・そしてそこから私の苦難の道のりが始まった。

「オーディオ」とは少しでもいい自分好みの音を求めての修行。 即ち時間とお金の投資である。
自分の持てる時間を含めた資力と持つ感性とのマッチングを求めて果てしなき世界を彷徨う。

恐ろしい世界に入ったものだ。 他人の持つシステムとの音質比較に悩んだり、財力の足りなさを
嘆いたり、ケーブル換えてはその音の違いを感じ取って一喜一憂、スピーカーの位置決めに半日
費やしたり。 すべては自己満足を得る為に夢中になることのできる大人の遊び。

で、最近SACDのタイトルが増えてきたのは喜ばしい事だ。 
店頭市販こそさほど活発ではないものの、毎月決まった数以上のものがリリースされ、ネットを
通じて入手できる。 

しかし、ライバルフォーマットのDVDオーディオなどに比べては優位性がはっきりしてきたものの、
いかんせんSACDの音質はいいハードが揃ってその段違いの高音質が分かるため、CDラジカセ
ではまずその違いが分からない。 そもそも最近のオーディオを巡る流れとしてはCDからMP3という
低音質フォーマットへの移行が大きなものとなっている。 MP3再生は簡便で、モーターなどの
可動部分がないので電気の飯も食わずに再生時間が長く、再生機も小型化されるという大きな
メリットがあるが、未だ著作権保護や権利関係の処理はインダラで、しかも音はCDウォークマンに
較べて明らかに悪い。 それを勘案すればそれほど経済的なメリットはないと思うのだが、人は
何故かMP3を求める。

で、思ったのだが、音質のよさ、悪さに人が拘らなくなってきたのは文明の進化に伴う、人本来の
持つ五感の退化に根ざすものではないだろうか? 都市への人口集中に伴い、都市の中には
様々な臭いや、都市水道の雑味、騒音などが発生しているが、人の五感は都市生活によって
ずたずたに傷つけられ、それに伴って麻痺が発生しているのだろう。 だからざらざらな音の感触の
MP3も売れるのではないかしらん? 山に一週間もいると感性が鋭くなって、無風状態の時など
タヌキや狐などの獣が藪の中を進む音や渓流に魚の潜む気配を感じる事ができる。 逆に都市に
いれば余分な(過剰な)感覚を排除する方向に人間の一種の防御本能が働くのだろう。

秋が深まる中、海や山に「いい音」を持って出かけようと思った。


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SACD大好き

全く、すべてのCDがSACDになればよいのに。 MP3をちいさなヘッドセットで聴くあれは、Audioとは別世界と割り切りましょう。でも、このネット経由でダウンロードしたり、CDからPCでエンコードコピーする低音質フォーマットがSACDの行方にも間接的には影響を及ぼすので、全く無関心ではいられず、うーん。
今晩も、寝る前には、このところ、気にいっているChannel Classicsから出ているRachel PodgerのVivaldiを聴いて、気持ちを安らかにして眠りにつきたいと思います。 Channel ClassicsとBISのSACD、音良いですよ
by SACD大好き (2006-09-27 15:54) 

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