ラダック、標高5300m [登山]
久しぶりにカシミールのLehまで行く。
今回は高度訓化の登山準備の目的があるわけではなく、
日本に帰任される上司を案内しての旅である。
この上司というのが中々の経歴で、国費留学でデリー大学に学び、
その後ジャワハルラルネルー大学の大学院まで出られ、日本に帰った後
仕事が無くて沖仲士を経て鉄鋼会社に入社されたインドの大ベテランである。
朝三時半出発、五時半の飛行機に乗る。
4月からLehは観光シーズン入りなのだが、まだこの季節は寒い。
Mitに行った時に買ったロゴ入りプルオーバーを久しぶりに引っ張り出し、
着込んで飛行機に乗ったらIITの学生というインド人から話しかけられた。
「あなたはMitの先生ですか?」
「いいえ、私は確かにMitに居たことはありますが、今はインドにある日系エンジニアリング
会社で働いているマネージャーです。この服は単なる思い出のひとつに過ぎません。」
ちょっと含みのある返事をしたが、そりゃそうだ、夏休みにボストン美術館に行った時に
ついでに寄ったMitの生協で買ったお土産なのだから。Mitに行ける様な財力も知力も
無い(ので実は少し憧れる気持ちはある)。
さて、Lehに行くのはこれで6回目。 1年半ぶりだ。
入域登録は緩い。 書いて出すだけ。 スタンプはなし。
吉例に従って朝にホテルでお茶を頂き、空気の薄さになれるためにホテルで一息ついて
ぼうっと山を眺めていると時間の経つのがものすごく早い。これが標高高いところに
きた副作用。
10時過ぎ、Highコミッショナーで制限地域入域許可をもらって山道を登る。
雪が多いなぁ。
交通量もずいぶん多くなった。
先行するツアー客のバンが雪道でスタックを繰り返す。 1時間以上もロスしたもので
頭にきて「あんたら横に避けて先に我々を通せ、運転技術とチェーンを持っていないのは
あなた方の問題で我々の問題ではない、我々の時間を奪うな」と繰り返し言っても
知らぬ顔、1時間半でいくところ、倍の3時間かかってやっとカルドン・ラに到着。
ずいぶん遅くなり、天候が崩れて生憎の眺め。
世界最高地点のおみやげ物屋でグッズを購入していたら雷が鳴り始め、
これはまずいとすぐ帰る。
ツアー客が増えるのは地元にとってはいいことだが、その分物価は上がるし、マナーは
悪くなるし色々なコンフリクトも起きる。
日本からもこの4月、まだ寒いのに西遊旅行という秘境とリスク地域専門の旅行会社のツアー、
そしてHISデリーからもサイトの下見が先週来ていたとの事。西遊旅行は登山ガイドもする
くらいだから問題ないかもしれないが高山病予防策も知らず、高地登山経験もなく、
SPO2メーターも持っていない連中が生半可にこんなところに心肺機能の落ちた
中高年客のツアーを企画して連れて来てはいけない。朝昼晩にツアー参加客の
体調を管理した上でツアースケジュールについて強制命令ができないなら
終いにはクライアントを殺すことになる。
パレスを見て
夕暮れのLehの町で遅い昼ごはん。
食べていたらチェンナイから来たという日本人の婦人が二人入ってきたので少し驚く。
一人は翌朝に日本人家族と一緒にいるところを空港で見かけたので、女二人だけの旅と
いうわけではなかったようだが、もうラダックも秘境という言葉は当てはまらないようだ。
インドも拓けてきてしまって穴場はビハールの農村地帯、マニプール・メガラヤ、
ナガーランド三州の山沿い、あるいはマラリアの怖いニコバルくらいになってきた。
秘境の旅をするなら今ならスーダンかソマリアかルワンダあたりかなぁ。
ゴリラ見に行く以外はあまり食指をそそられないぞ・・・やっぱり友人を訪ねて
カナダ東海岸に行ってタラ鍋食べようっと。
町を歩けば名物のヤクが相変わらず露天商のおばさんとユーモラスなやり取りを続けている。
隙あれば芋や大根を狙うヤクをおばさんが追っ払う。
でも一体何故ヤクは芋や大根が旨いと分かるのだろう。
宿に戻って夕ご飯を食べ、プロパンガスストーブの入った個室で就寝。
毛布が暖かかった。
翌朝7時半の飛行機でデリー経由午後3時前にムンバイ着。
このパキスタンまで続く山並みのどこかに幸せが待っている約束の地が・・・・
あるわけない。 全ては自分の気の持ちようだ。
今回、大先輩には申し訳なかったのだが「諸動作」の速度制限と呼吸法を厳格に守って頂き、
あくびの多発以外は酸素飽和濃度90を割ることも頭痛になることもなく、
無事に全行程を終えることができたのは幸いであった。
折角高度訓化できたのでどこか4000m級にでも登りにいこうか。
いや、5月はもっと高いマッキンリー登山の季節だ。 でも来週、再来週、その次、
そしてその次の週と5月末まで出張などの予定でもう一杯、時間が欲しいなぁ。
今回は高度訓化の登山準備の目的があるわけではなく、
日本に帰任される上司を案内しての旅である。
この上司というのが中々の経歴で、国費留学でデリー大学に学び、
その後ジャワハルラルネルー大学の大学院まで出られ、日本に帰った後
仕事が無くて沖仲士を経て鉄鋼会社に入社されたインドの大ベテランである。
朝三時半出発、五時半の飛行機に乗る。
4月からLehは観光シーズン入りなのだが、まだこの季節は寒い。
Mitに行った時に買ったロゴ入りプルオーバーを久しぶりに引っ張り出し、
着込んで飛行機に乗ったらIITの学生というインド人から話しかけられた。
「あなたはMitの先生ですか?」
「いいえ、私は確かにMitに居たことはありますが、今はインドにある日系エンジニアリング
会社で働いているマネージャーです。この服は単なる思い出のひとつに過ぎません。」
ちょっと含みのある返事をしたが、そりゃそうだ、夏休みにボストン美術館に行った時に
ついでに寄ったMitの生協で買ったお土産なのだから。Mitに行ける様な財力も知力も
無い(ので実は少し憧れる気持ちはある)。
さて、Lehに行くのはこれで6回目。 1年半ぶりだ。
入域登録は緩い。 書いて出すだけ。 スタンプはなし。
吉例に従って朝にホテルでお茶を頂き、空気の薄さになれるためにホテルで一息ついて
ぼうっと山を眺めていると時間の経つのがものすごく早い。これが標高高いところに
きた副作用。
10時過ぎ、Highコミッショナーで制限地域入域許可をもらって山道を登る。
雪が多いなぁ。
交通量もずいぶん多くなった。
先行するツアー客のバンが雪道でスタックを繰り返す。 1時間以上もロスしたもので
頭にきて「あんたら横に避けて先に我々を通せ、運転技術とチェーンを持っていないのは
あなた方の問題で我々の問題ではない、我々の時間を奪うな」と繰り返し言っても
知らぬ顔、1時間半でいくところ、倍の3時間かかってやっとカルドン・ラに到着。
ずいぶん遅くなり、天候が崩れて生憎の眺め。
世界最高地点のおみやげ物屋でグッズを購入していたら雷が鳴り始め、
これはまずいとすぐ帰る。
ツアー客が増えるのは地元にとってはいいことだが、その分物価は上がるし、マナーは
悪くなるし色々なコンフリクトも起きる。
日本からもこの4月、まだ寒いのに西遊旅行という秘境とリスク地域専門の旅行会社のツアー、
そしてHISデリーからもサイトの下見が先週来ていたとの事。西遊旅行は登山ガイドもする
くらいだから問題ないかもしれないが高山病予防策も知らず、高地登山経験もなく、
SPO2メーターも持っていない連中が生半可にこんなところに心肺機能の落ちた
中高年客のツアーを企画して連れて来てはいけない。朝昼晩にツアー参加客の
体調を管理した上でツアースケジュールについて強制命令ができないなら
終いにはクライアントを殺すことになる。
パレスを見て
夕暮れのLehの町で遅い昼ごはん。
食べていたらチェンナイから来たという日本人の婦人が二人入ってきたので少し驚く。
一人は翌朝に日本人家族と一緒にいるところを空港で見かけたので、女二人だけの旅と
いうわけではなかったようだが、もうラダックも秘境という言葉は当てはまらないようだ。
インドも拓けてきてしまって穴場はビハールの農村地帯、マニプール・メガラヤ、
ナガーランド三州の山沿い、あるいはマラリアの怖いニコバルくらいになってきた。
秘境の旅をするなら今ならスーダンかソマリアかルワンダあたりかなぁ。
ゴリラ見に行く以外はあまり食指をそそられないぞ・・・やっぱり友人を訪ねて
カナダ東海岸に行ってタラ鍋食べようっと。
町を歩けば名物のヤクが相変わらず露天商のおばさんとユーモラスなやり取りを続けている。
隙あれば芋や大根を狙うヤクをおばさんが追っ払う。
でも一体何故ヤクは芋や大根が旨いと分かるのだろう。
宿に戻って夕ご飯を食べ、プロパンガスストーブの入った個室で就寝。
毛布が暖かかった。
翌朝7時半の飛行機でデリー経由午後3時前にムンバイ着。
このパキスタンまで続く山並みのどこかに幸せが待っている約束の地が・・・・
あるわけない。 全ては自分の気の持ちようだ。
今回、大先輩には申し訳なかったのだが「諸動作」の速度制限と呼吸法を厳格に守って頂き、
あくびの多発以外は酸素飽和濃度90を割ることも頭痛になることもなく、
無事に全行程を終えることができたのは幸いであった。
折角高度訓化できたのでどこか4000m級にでも登りにいこうか。
いや、5月はもっと高いマッキンリー登山の季節だ。 でも来週、再来週、その次、
そしてその次の週と5月末まで出張などの予定でもう一杯、時間が欲しいなぁ。
`相変わらず活躍されてますね。。^^ ソウルも春がなくなりもう25度、、初夏ですね・・日本の出張があったらこっちにも足を延ばしてくださいね。。
by NO NAME (2012-05-06 22:42)