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izumiのプロフィール

自己紹介

ニックネーム:
izumi
出身校:
新大久保工科学校
出没場所:
ムンバイ デリー マスカット バンコク シンガポール 千代田区 アジスアベバ 中央区 横浜市

好きなモノ

趣味は?
ダイビング 登山
Izumi 富山県高岡市出身 花籠部屋 

韓国駐在7年、インドで7年8か月、今世紀は日本を離れること通算して15年以上になりました。

天竺ボリウッドで映像関連の仕事の修行中だったけれど、2011年に思うところあって
軟派な会社を辞め、新天地を求めて横浜にある重くて固いものを扱う仕事場に
技術系として転職。見習いを経て再度天竺に転勤。
ムンバイ駐在を経て数か月前にやっと帰国。

旧いシトロエンと野菜畑を愛するへなちょこ登山愛好家・エンジニア

書物と新しい物が好きなのはご先祖さまからの遺伝のようで、江戸時代の
四代前のご先祖様の福田兵四郎(敬業)は、材木と薪炭商を商う傍ら
幕府の海防方蕃書取調所という所に入り浸っていたらしい。

明治になってからは材木商の家の身上を潰してまで当時心酔し、
大好きだった勝海舟をスポンサーしながら出版業を営み、世界地理やチベットの
解説書や維新前後の人の遺墨集などを出版したそうだ。 

そういえば父も伯父も祖父も新聞やら公営放送局やら電通やらで
ヤクザな稼業をしていた。 

でも私は縁あってエンジニア(といっても山師だが)の勉強をすることにした。

実はこれも祖父が杉林黒鉛満俺という会社を経営し、美利河鉱山やら
野田玉川鉱山やらいくつかの鉱山を所有して掘る仕事を昔していたり、中村廉作という
大叔父や福田東一という曾祖父の兄弟が室蘭や苫小牧の港湾工事、
あるいは台湾などで土木建築技師をしていたことの遺伝という見方がある。 

とかく先祖の血というものは争えないものだと思うに至る。

<代表的なへなちょこ登山記録>

小学校時代、家の鍵の紛失に伴い未踏ルートだった自宅の側壁からベランダルートを
厳冬期自由登攀の末に初登成功、窓をはずして留守宅に無事帰還し山岳登攀に目覚める。 

中学生時代、奥多摩・奥秩父を中心に「天気がいいから今日は御岳山に行こう」と、
休日の塾をサボって山に入る週末を送り、両親にバレて勘当寸前に追い込まれる。

<主な山行歴>

高尾山初めての山歩き(1971年)
大菩薩から雁坂峠、秩父往還 初めての雪山登山(1976年)
知床半島回遊 水泳交じり+登山の旅(1990年)
黒部川下廊下を経、上の廊下核心部泥壁草つき怖い怖い遡行(1992年)、
キナバル山ビール飲みすぎ二日酔い登山(4010m、1994年)、
米子沢雪渓残雪が怖くて巻き道で稜線まで標高差1300m藪コギ6時間、水切れて、
渇きで遭難寸前だった巻機山登頂(1996年)、
谷川岳西ゼン悪天候で新潟のうまい酒と温泉の誘惑に負けて途中敗退(同様の敗退多数1996年)、
モンブラン・グーテ小屋ルート登高中、脚が疲労のために痙攣、アスピリン二錠と10分休憩で回復、登頂(4810m、1998年)
欧州アルプス、ブライトホルン登頂後ホワイトアウト、アンザイレンして雪庇踏み抜き、
ヒドンクレバスに胸まではまり、ロープウェイの最終便を乗り過ごし友人と一緒にザックに
足を突っ込んでビバーク帰還(4159m、2001年) 
雪上車で楽ちんエルブルース(5642m 2002年)
キリマンジャロ・高山病でヘロヘロになってギルマンズ峰で敗退、 
帰路のポーター駈け比べにも敗退(5681m、2002年)、
アコンカグア1週間の強行登山で登頂 三浦キャンプ減圧室の効果大。(6950m、2006年)
カシミール・カルドンラパス裏山ランニング登山
(5420m、2009年x 三回、2010年x二回、2012年x二回)
キリマンジャロ・ウフルピーク再チャレンジ登頂・帰路ポーターと駆け比べに勝利!
(5895m、2010年) 

現在までに四大陸最高峰登頂。

五大陸目のマッキンリー登山に向け、いかにして6月の登山シーズンに
3週間の休みを取るか思案中。 でも寒いところは2年に一回出る
急性腰痛持ちになったのでもう無理かも・・・減量で解消できたらもう一回考慮!

天竺生活自体が登山キャンプみたいなものだから良いトレーニングになっているので
そのうちチャンスは巡ってくるかと期待中。
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