バチカンからトスカ、ヘップバーンへの道 [旅は道連れ世は情け]
朝からテンション上げて観光モード。
地下鉄でテルミニからバチカンへ。
バチカン側から見たローマ。
このオベリスクの歴史は古く、キリシタン迫害の歴史を
1800年以上もここで見守ってきた。
前回は時間が無くってここまで来ただけで満足し、
「山までは見ず」に終わったのだった。
でも今回は総本山の中に入ることができた。
ここは皆が写真を撮るポイント。 法王執務室へ通じる
正式なゲストの通路である。
常にスイスのカソリック信者から選ばれた衛兵が守る。
そういえばアルプスの少女ハイジのお爺さんもスイスの傭兵だったっけ。
ここにいたのかな?
大きな教会だ。
外見はタージマハールの方が美しいが中はどえらい違いの
デコレーション。
いきなりミケランジェロの先制ハードパンチで、脳にダメージを食らう。
有名な「息絶えたキリストを抱くマリア像」
ここを回るにあたって日本語AUDIOガイドを借りた。
少し日本語としてはしつこく、かつ、まだるっこい解説だが詳しく
見て回ることができた。 ただこのAUDIOガイド、説明が長いし
たくさんのポイントで解説してくれるのでまともにつきあうと
2時間半は掛かる代物。
解説で建物の大きさを繰り返し強調しているのが微笑ましい。
この大聖堂はウェストミンスター聖堂や
ノートルダム寺院の大きさを凌駕するということだが、
大きいことはいいことだ、なの?? なら山本直純と同じだな。
いや、もちろん大きさが尊いのではなく、その大きさを作り上げる
我等信者達の心が尊いのである。・・・だから身延山・・・おっと
この話はまずいので止めておこう。無事取り壊されたことだしな。
引き続き美術館へ。
サンピエトロ広場から少し離れた裏手に歩く。
美術館。 装飾に覆われた廊下が素晴らしい。
壁には地図だのタペストリーだのが掛けられている。
青がきれいなイタリア地図。
外見の地味さ(これは中庭駐車場)と中身の派手さは、まさに目だけ
出しているイスラムの女性にも通じて面白い対比である。
いきなり出たな大物め! ラファエロ・・・
青がきれいだ。 極楽の空はこんな色なのか。
これはアテネの学堂といい、中央左のプラトンの顔はダビンチ村のレオナルドに
似せられて描かれたらしい。 ラファエロは漫画の天才だ。
見上げてごらん、システィーナ礼拝堂の天井を。
人の幸せが詰っている。
ミケランジェロの最後の審判の壁画そのものよりも
天井画の聖書の物語に惹かれる。
アダムとイブなどの旧約聖書の物語。
なお、写真撮影はいけないので、これらは全て参考画像である。
フラッシュさえ焚かなければ信者の皆様の寄進でできているのだから
撮影してもいいと思うのだがなぁ。
視覚DATAの入力量が多くて脳が疲れたのを感じ、早々に
美術館から出ることにした。 妻連れてまた来よう。
バチカンは我等カソリック信者の寄進のお陰でここまでの
蓄積をしておったか。そういえば月刊聖母の騎士を取らなく
なって久しいなぁ。 少し喜捨するか。
マイアミの梶先輩が言っていた、
「タージマハールもいいけどバチカンも・・・・」の意味が
ここに来てやっと分かった。
ここは人生に一回は見たい場所だと思った次第。
このあとサンタンジェロ城まで歩く。
途中の花屋。
ローマの松! レスピーギ三部作の一。
ローマの松を通じて昔の都のよすがを偲ぶのであった。
ローマのシトロエンC1。 格好いい。
途中で食品スーパーがあったので買い物してしまった。
パスタはインドの半額だった。
さて、有名な「トスカ」の舞台であるこのサンタンジェロ城。
濠は空堀となり、悲劇の舞台もデートコースになっている。
ここには初めて来た。
トスカは恋人を助ける為に人を殺してまで努力したにも
関わらず恋人はむなしく殺されてしまってこの城の中を
どたばたと逃げ廻ったあげく、絶望して屋上から川に身を投げるのが
確かあらすじだった。で、ここで重大な疑義が!
どう考えても川までは距離があって、トスカに羽根でも生えていない限り
この50mの距離を越えることは無理だ!
オペラってまぁ、物語よりも音楽性だからな・・・
プッチーニの歌が美しければすべて許されるのだ。
おかしいなぁ? と首をひねりつつ再びパンテオンへ。
開いていた!
ラファエロの墓がここにある。この天才漫画家は37歳で亡くなったらしい。
芥川といい、直木三十五といい、天才は短命だな。
暫く中で脳を休めてまどろんでいたら後ろで騒ぐ声が聞こえた。
一天にわかに搔き曇り、雨かと思いきや雹が降り始めたのだった。
パンテオンは2世紀に建てられ、天井ドームは明り取りの為に
直径9mの開口部がある。 そこから氷の塊が降ってくる。
面白い光景だった。
天気の崩れは20分ほどで収まり、再び散歩に出る。
スペイン階段を上り、
丘を越えてバルベリーニ宮へ。ここに来たかったのだ。
ヘップバーンとグレゴリーペックの思い出の場所。
(・・・だと思う、ロングで望遠使って撮っているようだ)
ローマの休日の終わりの方で、新聞記者のブラッドリーが駆る
FIAT500でここまで送られたアン王女が別れ際に「ここを左に
曲がって帰るの・・・送らないで、ここで下ろして、そして行って」
と言って、でも去り難く車内で抱擁するシーンが撮られた。
泣けたなぁ。 もう二度と個人的に逢うことのない二人なんだもの。
ここはホテルの建物の陰。
裏通りのいい場所だ。
まさに恋人達の別れのシーンにはぴったり。
FIATのレンタカー借りて夜に嫁さん連れてきてチューしてやると決めた。
しばし映画に思いを馳せてたたずむ。
色即是空 空即是色
もうヘップバーンもグレゴリーペックも、そしてカメラマン役の
エディーアルバートも皆この世から居なくなってしまった。
気を取り直してローマオペラ座へ。
途中イタリア陸軍省前を通る。
エチオピア皇帝軍にも負けた栄誉ある陸軍だ。
まぁ、フィアット製の戦車乗っているんじゃな・・・
オペラ座。
いいなぁ、ここはたくさん見るものがあって・・・
でもこの日は何もやっていなかった。 ちぇっ。
トスカ見てラストシーンで「そりゃ無理だ!距離がありすぎっ!」
と声を掛けたかったのに。
ここから宿は歩いて5分。
戻って隣室の湘南から来られたおじさんたちのワインに呼ばれて一杯やって寝る。
日本の会社を退職されてからイタリア語を勉強せんとイタリア留学したという
つわもののおじさんに勇気づけられた晩だった。
地下鉄でテルミニからバチカンへ。
バチカン側から見たローマ。
このオベリスクの歴史は古く、キリシタン迫害の歴史を
1800年以上もここで見守ってきた。
前回は時間が無くってここまで来ただけで満足し、
「山までは見ず」に終わったのだった。
でも今回は総本山の中に入ることができた。
ここは皆が写真を撮るポイント。 法王執務室へ通じる
正式なゲストの通路である。
常にスイスのカソリック信者から選ばれた衛兵が守る。
そういえばアルプスの少女ハイジのお爺さんもスイスの傭兵だったっけ。
ここにいたのかな?
大きな教会だ。
外見はタージマハールの方が美しいが中はどえらい違いの
デコレーション。
いきなりミケランジェロの先制ハードパンチで、脳にダメージを食らう。
有名な「息絶えたキリストを抱くマリア像」
ここを回るにあたって日本語AUDIOガイドを借りた。
少し日本語としてはしつこく、かつ、まだるっこい解説だが詳しく
見て回ることができた。 ただこのAUDIOガイド、説明が長いし
たくさんのポイントで解説してくれるのでまともにつきあうと
2時間半は掛かる代物。
解説で建物の大きさを繰り返し強調しているのが微笑ましい。
この大聖堂はウェストミンスター聖堂や
ノートルダム寺院の大きさを凌駕するということだが、
大きいことはいいことだ、なの?? なら山本直純と同じだな。
いや、もちろん大きさが尊いのではなく、その大きさを作り上げる
我等信者達の心が尊いのである。・・・だから身延山・・・おっと
この話はまずいので止めておこう。無事取り壊されたことだしな。
引き続き美術館へ。
サンピエトロ広場から少し離れた裏手に歩く。
美術館。 装飾に覆われた廊下が素晴らしい。
壁には地図だのタペストリーだのが掛けられている。
青がきれいなイタリア地図。
外見の地味さ(これは中庭駐車場)と中身の派手さは、まさに目だけ
出しているイスラムの女性にも通じて面白い対比である。
いきなり出たな大物め! ラファエロ・・・
青がきれいだ。 極楽の空はこんな色なのか。
これはアテネの学堂といい、中央左のプラトンの顔はダビンチ村のレオナルドに
似せられて描かれたらしい。 ラファエロは漫画の天才だ。
見上げてごらん、システィーナ礼拝堂の天井を。
人の幸せが詰っている。
ミケランジェロの最後の審判の壁画そのものよりも
天井画の聖書の物語に惹かれる。
アダムとイブなどの旧約聖書の物語。
なお、写真撮影はいけないので、これらは全て参考画像である。
フラッシュさえ焚かなければ信者の皆様の寄進でできているのだから
撮影してもいいと思うのだがなぁ。
視覚DATAの入力量が多くて脳が疲れたのを感じ、早々に
美術館から出ることにした。 妻連れてまた来よう。
バチカンは我等カソリック信者の寄進のお陰でここまでの
蓄積をしておったか。そういえば月刊聖母の騎士を取らなく
なって久しいなぁ。 少し喜捨するか。
マイアミの梶先輩が言っていた、
「タージマハールもいいけどバチカンも・・・・」の意味が
ここに来てやっと分かった。
ここは人生に一回は見たい場所だと思った次第。
このあとサンタンジェロ城まで歩く。
途中の花屋。
ローマの松! レスピーギ三部作の一。
ローマの松を通じて昔の都のよすがを偲ぶのであった。
ローマのシトロエンC1。 格好いい。
途中で食品スーパーがあったので買い物してしまった。
パスタはインドの半額だった。
さて、有名な「トスカ」の舞台であるこのサンタンジェロ城。
濠は空堀となり、悲劇の舞台もデートコースになっている。
ここには初めて来た。
トスカは恋人を助ける為に人を殺してまで努力したにも
関わらず恋人はむなしく殺されてしまってこの城の中を
どたばたと逃げ廻ったあげく、絶望して屋上から川に身を投げるのが
確かあらすじだった。で、ここで重大な疑義が!
どう考えても川までは距離があって、トスカに羽根でも生えていない限り
この50mの距離を越えることは無理だ!
オペラってまぁ、物語よりも音楽性だからな・・・
プッチーニの歌が美しければすべて許されるのだ。
おかしいなぁ? と首をひねりつつ再びパンテオンへ。
開いていた!
ラファエロの墓がここにある。この天才漫画家は37歳で亡くなったらしい。
芥川といい、直木三十五といい、天才は短命だな。
暫く中で脳を休めてまどろんでいたら後ろで騒ぐ声が聞こえた。
一天にわかに搔き曇り、雨かと思いきや雹が降り始めたのだった。
パンテオンは2世紀に建てられ、天井ドームは明り取りの為に
直径9mの開口部がある。 そこから氷の塊が降ってくる。
面白い光景だった。
天気の崩れは20分ほどで収まり、再び散歩に出る。
スペイン階段を上り、
丘を越えてバルベリーニ宮へ。ここに来たかったのだ。
ヘップバーンとグレゴリーペックの思い出の場所。
(・・・だと思う、ロングで望遠使って撮っているようだ)
ローマの休日の終わりの方で、新聞記者のブラッドリーが駆る
FIAT500でここまで送られたアン王女が別れ際に「ここを左に
曲がって帰るの・・・送らないで、ここで下ろして、そして行って」
と言って、でも去り難く車内で抱擁するシーンが撮られた。
泣けたなぁ。 もう二度と個人的に逢うことのない二人なんだもの。
ここはホテルの建物の陰。
裏通りのいい場所だ。
まさに恋人達の別れのシーンにはぴったり。
FIATのレンタカー借りて夜に嫁さん連れてきてチューしてやると決めた。
しばし映画に思いを馳せてたたずむ。
色即是空 空即是色
もうヘップバーンもグレゴリーペックも、そしてカメラマン役の
エディーアルバートも皆この世から居なくなってしまった。
気を取り直してローマオペラ座へ。
途中イタリア陸軍省前を通る。
エチオピア皇帝軍にも負けた栄誉ある陸軍だ。
まぁ、フィアット製の戦車乗っているんじゃな・・・
オペラ座。
いいなぁ、ここはたくさん見るものがあって・・・
でもこの日は何もやっていなかった。 ちぇっ。
トスカ見てラストシーンで「そりゃ無理だ!距離がありすぎっ!」
と声を掛けたかったのに。
ここから宿は歩いて5分。
戻って隣室の湘南から来られたおじさんたちのワインに呼ばれて一杯やって寝る。
日本の会社を退職されてからイタリア語を勉強せんとイタリア留学したという
つわもののおじさんに勇気づけられた晩だった。
これは、まるで、いずみ版、地球の歩き方ともいうべき、ワイドカバレージ。
食べ物も美味いし、見る物も沢山あるので、良いオペラがかかっているときに、奥様と出直してくださいませ。 フィレンチェとベニスにもお立ち寄り、お勧めです。
ところで、子供が数人で寄ってきて、取り囲まれ、気をひかれている間に掏られるジプシー被害にあわず何よりでした。
by 天星小輪 (2010-05-05 14:04)
またまた人生エンジョイ中ね!!
私は欧州は会社関連の場所ばかりで観光地には縁が無し
でもないか
コルマールの街並みと美味しいトカイワイン
ミュンヘンのクリスマスとホットワイン、初夏の白アスパラガス
いや、私の場合は食い物が重要かも
ブリュッセルのムール貝はあきませんでした・・・・欧米人はアンモニア臭に寛容ですなあ・・
by ひげのすけ (2010-05-05 20:22)
先輩方お二人とも欧州暮らしが長くていらっしゃいますので、この近代文明と文化の地にお若くして住まわれたその経験を羨ましく思います。
仕事はさておき、見るべき、訪れるべきところを既にたくさんカバーされて、それが物を、社会を見る時のリファレンスになっておられる。 当方、那覇・福岡・韓国・インドが生活や社会のリファレンスですので、どうしても偏向が生じてしまっているような気がいたします。 いわく、タージマハールは世界で最も美しい建物である。 いわく、韓国人こそイタリア人的なラテンパッションの民族。 沖縄の竹富より美しい海はない。 などなど思い込みが・・・南米、欧州、アフリカと、まだまだ世界はアジアと北米だけでなく、広いものだと最近感心しております。
by izumi (2010-05-06 00:59)