SSブログ

ムンバイ発二等寝台車 [天竺編]

忙しくなってきた。 

バラナシ行ってからデリー、プネ、そしてムンバイに戻り、次の日にもう一回デリーへ
飛んで汽車ぽっぽの仕事をし、息つく間もなく夜に戻ったムンバイの空港から
直行して今度は南に向かう夜汽車に乗る。 

週末も何かしら仕事があるのでどうも曜日の感覚を失うが、毎月お給金
貰っている立場だからやる仕事が無いよりかいいや。

夜10時過ぎの世界遺産、ビクトリアターミナスCSTムンバイ駅。
IMG_1898.JPG


ごちゃごちゃの人ごみの中をチッキの荷車が忙しく往来する。
IMG_1901.JPG

鉄道はインドにあっては庶民の交通手段である。
飛行場と比べれば乗る人たちの属する所得層が違ってくる。

駅は何というか、築地と30年くらい昔の上野のアメ横が混ざって
思い切り汚くなった感じ。 

この雑踏と人いきれをも含めて世界遺産登録、なんだなぁ。


出発は16番線のKONKANラインホーム。
IMG_1904.JPG 
このKONKAN路線はムンバイから南部のニューマンガロールまで続く10年前に
大開発された政府肝いりのインド西回廊を貫く幹線でもある。 西インド経済にとっては
まさに根幹となるラインであるが、もちろん日本語由来の名前ではない。 
そういえば昨日のデリーでの汽車の仕事場所もここの鉄道会社のあるビルだった。


二等硬席は満員。 通路にも人が溢れる。
IMG_1906.JPG
20年前はいざ知らず、もうおじさんには「お願いだから勘弁」してくれの世界。

我々の乗る車両には予約した名前や性別、ご丁寧に年齢までもが入り口に貼ってある。 
これで自分の席を確認する。
IMG_1907.JPG

車内は・・・相変わらずだ・・・
暗い。

二等寝台と硬席との境目。
IMG_1927.JPG
シャッターで遮断され行き来ができないようになっている

10年少し前に建造した、と銘板に書かれているが、内装の劣化が甚だしい。
IMG_1928.JPG
車体の上にプラ板とアルミでつくった掘っ立て小屋のような寝台車。
20年前には一部がベニヤの木製だったがもうさすがにそれは無いようだ。

今宵の宿は二等寝台。
IMG_1910.JPG

二段式の寝台車。
IMG_1911.JPG

枕元の警報信号機が素敵。
IMG_1913.JPG
未だに西部劇じゃないけど路線によっては一両丸ごと強盗を働くような山賊も出るからな。


ちなみに隣接した一等寝台はこんな感じ。 
IMG_1914.JPG

コンパートメントで少し寝台の幅と長さが広い。
IMG_1917.JPG
ただ、4人部屋の中はカーテンも無い。そのため以前はやむなく寝台車に
出張で乗るときは4人分を買い占めて二人分の個室として乗ったこともあった。


なんてことを考えていたらインドで昔乗った二等の夜行寝台列車経験を
突然思い出す。そう、盗難除けに靴も荷物もまとめて枕元に置くのだった。

今回もそうやって寝たら首が不自然な角度になっていたらしく、
翌朝5時前にその痛さで目が覚めた。 

二等客室も当然仕切りが無い。 目が覚めると隣にいつの間にか
妙齢のインド人のご婦人が乗られて眠っていた。
もちろん隣といっても隣の寝台の事で枕を同じくしたわけではない。
しかし、間仕切りが無いので誰が寝ているのか良く分かる。

目的駅着は5時5分だったが1時間遅れで6時過ぎに到着。 
IMG_1940.JPG
あたりはまだ暗い。 

これからここで今日のお仕事開始。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。