インパールからミャンマー国境の友好鉄橋へ [旅は道連れ世は情け]
朝4時起床。知らないうちに蚊に数箇所食われていた。
その血を吸った蚊をいつのまにか潰していたらしく、シャツには
ぺったんこになった蚊が血の染みと共にくっついていた。
湯を沸かし、タイで買った日清の焼きそばをかきこみ6時出発。
昨日から借りているインド・マヒンドラ自動車の
BORELOというディーゼルジープ。
悪路にはこれが一番。
NH(ナショナルハイウェイ)39とNH102をたどる。
最初の30kmほどは平坦な田舎道。土木工事も楽そう。
風景は水田と山。 40年前の伊勢原あたりの光景に似ている。
Kakchingの町を過ぎてすぐの警察チェックポイントがある
Palelの集落から先はぐっと道幅の狭い山道となる。
ここも日本軍の第二次世界大戦中の最遠到達地点の一つ。
33師団はこの山から降りた地点にあった英軍の飛行場陣地に
何回も攻め込んだがついぞ抜くことができなかったという、
日英の兵隊の血が流れた因縁の地である。
山道に入ると折り返して標高を稼ぎ、そして両側の切れた尾根伝いに
道は日本軍の退却路を東へ進む。
急坂、更に舗装が悪くかなりの揺れ、当然速度も
ぐっと落ちるはずのところ、ドライバーは積極的にぶっ飛ばす。
結構これは怖い。
だいぶん上にあがってきた。いつの間にか雲が下に見える。
予想してはいたがここのマニプール州ルートは軽便鉄道ならまだしも
貨物鉄道敷設は無理だ。次回ナガーランド州コヒマの北回りを
検討することとする。 こうして一旦見切ればあとは観光旅行である。
しかし、この区間をなんとかしないとデリーからインドを横断して
ミャンマー、そしてタイからベトナムを経て中国、北朝鮮、
韓国釜山までのアジアの鉄道が作れない。
東京から新幹線、下関から連絡船に乗り、釜山から鉄道でデリーまで
行く夢のアジア鉄道旅行が可能になるのは20年後くらいだろうか。
一番のネックは板門店から少し先のあの辺りだが、あそこの
ボトルネック解消にももうそれほど長くは待たされないだろう。
本日目指すはインド・ミャンマー国境。
1時間半ほどでこぼこの道を揺られて最終チェックポイントへ。
ここで軍に停められパスポートと全ての荷物のチェック。
テンノパールは昔も今もこの道を扼する要害地。
撮影厳禁のインド軍陣地の真ん中である。
カバンは全て開けられ、中を引っかき回される。
通過書類作成してサインを求められ無事通過。
このチェックポイントは朝一番で通過しないと、交易の荷を
山盛りに積み上げてよろよろ走る車達の荷物検査で
混み合うので早くインパールを出発することが肝要だ。
次回もそうしよう。
チェックポイントを過ぎるとモレ(Moreh)の村落に着く。
ここでも日本軍と英軍の戦闘が交わされた。
入り口に税関のチェックポイントがある。
その傍らにはヒンディー寺院(ドライバーはマニプール教と言っていたが)
があり、運転手が少し御参りしたいというので付き合う。
笠状の幟が立つ様はタイにも、ブータンにも似ていて興味深い。
チェックポイントから20分、途中でサイのマークの
アッサム石油のガススタンドを過ぎ、
国境警備の軍の最終チェックポイントで車両通過の
サインを行い、谷川をまたぐブリッジ1に出る。
第二次世界大戦中に英軍が架橋したという軽量鉄骨ボルト止めの
インドミャンマー友好橋。
鉄橋は長持ちするな。 重量物車両が通過しない限りここは当分大丈夫。
インド側が白、ミャンマー側が黄色に塗られている。その中間点が国境。
我々の車両はパーミッションがないので橋のたもとに駐車。
橋の中ほどまで歩く。
この塗装の境目が国境である。
長いこと外国人はここを訪問することができなかった。
国境線上からの眺め。
この辺りの人々にとっては言葉も習俗も同じようなものなので、
自由にバイクも車も国境を越えて行き交っている。
女性の顔にタナカという白いおしろいを塗っているのがミャンマー人、
そうでないのはインド人と分かる。 でも男の顔は見分けが付かない。
塗装の境目を越えて向こう岸に渡ろうとするとドライバーが慌てて
引き止めるものだから何となく欲求不満が溜まり、町の市場の雑踏経由で
ミャンマーにするりと入り込めないかトライすることにした。
その血を吸った蚊をいつのまにか潰していたらしく、シャツには
ぺったんこになった蚊が血の染みと共にくっついていた。
湯を沸かし、タイで買った日清の焼きそばをかきこみ6時出発。
昨日から借りているインド・マヒンドラ自動車の
BORELOというディーゼルジープ。
悪路にはこれが一番。
NH(ナショナルハイウェイ)39とNH102をたどる。
最初の30kmほどは平坦な田舎道。土木工事も楽そう。
風景は水田と山。 40年前の伊勢原あたりの光景に似ている。
Kakchingの町を過ぎてすぐの警察チェックポイントがある
Palelの集落から先はぐっと道幅の狭い山道となる。
ここも日本軍の第二次世界大戦中の最遠到達地点の一つ。
33師団はこの山から降りた地点にあった英軍の飛行場陣地に
何回も攻め込んだがついぞ抜くことができなかったという、
日英の兵隊の血が流れた因縁の地である。
山道に入ると折り返して標高を稼ぎ、そして両側の切れた尾根伝いに
道は日本軍の退却路を東へ進む。
急坂、更に舗装が悪くかなりの揺れ、当然速度も
ぐっと落ちるはずのところ、ドライバーは積極的にぶっ飛ばす。
結構これは怖い。
だいぶん上にあがってきた。いつの間にか雲が下に見える。
予想してはいたがここのマニプール州ルートは軽便鉄道ならまだしも
貨物鉄道敷設は無理だ。次回ナガーランド州コヒマの北回りを
検討することとする。 こうして一旦見切ればあとは観光旅行である。
しかし、この区間をなんとかしないとデリーからインドを横断して
ミャンマー、そしてタイからベトナムを経て中国、北朝鮮、
韓国釜山までのアジアの鉄道が作れない。
東京から新幹線、下関から連絡船に乗り、釜山から鉄道でデリーまで
行く夢のアジア鉄道旅行が可能になるのは20年後くらいだろうか。
一番のネックは板門店から少し先のあの辺りだが、あそこの
ボトルネック解消にももうそれほど長くは待たされないだろう。
本日目指すはインド・ミャンマー国境。
1時間半ほどでこぼこの道を揺られて最終チェックポイントへ。
ここで軍に停められパスポートと全ての荷物のチェック。
テンノパールは昔も今もこの道を扼する要害地。
撮影厳禁のインド軍陣地の真ん中である。
カバンは全て開けられ、中を引っかき回される。
通過書類作成してサインを求められ無事通過。
このチェックポイントは朝一番で通過しないと、交易の荷を
山盛りに積み上げてよろよろ走る車達の荷物検査で
混み合うので早くインパールを出発することが肝要だ。
次回もそうしよう。
チェックポイントを過ぎるとモレ(Moreh)の村落に着く。
ここでも日本軍と英軍の戦闘が交わされた。
入り口に税関のチェックポイントがある。
その傍らにはヒンディー寺院(ドライバーはマニプール教と言っていたが)
があり、運転手が少し御参りしたいというので付き合う。
笠状の幟が立つ様はタイにも、ブータンにも似ていて興味深い。
チェックポイントから20分、途中でサイのマークの
アッサム石油のガススタンドを過ぎ、
国境警備の軍の最終チェックポイントで車両通過の
サインを行い、谷川をまたぐブリッジ1に出る。
第二次世界大戦中に英軍が架橋したという軽量鉄骨ボルト止めの
インドミャンマー友好橋。
鉄橋は長持ちするな。 重量物車両が通過しない限りここは当分大丈夫。
インド側が白、ミャンマー側が黄色に塗られている。その中間点が国境。
我々の車両はパーミッションがないので橋のたもとに駐車。
橋の中ほどまで歩く。
この塗装の境目が国境である。
長いこと外国人はここを訪問することができなかった。
国境線上からの眺め。
この辺りの人々にとっては言葉も習俗も同じようなものなので、
自由にバイクも車も国境を越えて行き交っている。
女性の顔にタナカという白いおしろいを塗っているのがミャンマー人、
そうでないのはインド人と分かる。 でも男の顔は見分けが付かない。
塗装の境目を越えて向こう岸に渡ろうとするとドライバーが慌てて
引き止めるものだから何となく欲求不満が溜まり、町の市場の雑踏経由で
ミャンマーにするりと入り込めないかトライすることにした。
> 40年前の伊勢原あたりの光景に似ている。
ホントだ・・・この写真の真ん中へんに小田厚を横切らせたら、伊勢原になる・・・。
元住民より。
by I牧師 (2012-03-12 14:21)
I牧師さま・・・いつインドへ?
by izumi (2012-03-13 02:29)
初めまして、現在車でインドのデリーまで来ています。
これからインド・ミャンマー国境のモレからミャンマーに入りたいのですが、他の国間の国境のようにカルネなどを提示して入国することはできるのでしょうか?何か特別な許可証などは必要なのでしょうか?
ミャンマー国境は非情に難しいと聞いています。この車でベトナムのほうまで走って大陸横断をしようと思っているので、教えていただければ幸いです。
by usami (2012-06-14 13:17)
おぉ、それはご苦労様です。 自分もカルネで日韓は2CVで何回も旅しました。 http://citroen2cv6.blog.so-net.ne.jp/2005-11-28-1しかし、旅行者用カルネでの車両持込みはあそこは不可です。そもそもカルネの意味も分からない,というかATAカルネには加盟していない。 国境では軍人がイミグレと税関吏を兼ねていますが、交渉するだけきっと時間の無駄遣いとなります。 また、あの英軍の作った黄色と白に塗り分けられた友好橋までインド政府の許可を取って武装検問所を抜けていかねばたどりつくことすら叶いません。 そして渡ったところでまたミャンマーの軍検問所です。 税関から車両価格相当の「ボンド」という名のわいろを要求される可能性があります。 日本まではどうせ中国という障害があり行けませんので、バングラへ出て、コックスバザールからフェリーでタイかSINに出るのがいいでしょう。折角ならモンスーンと緑の南インドをゆったり回って行かれてはいかがですか? IZUMI
by izumi (2012-06-19 03:43)