インド ナガーランド州 コヒマ訪問 [旅は道連れ世は情け]
68年前、妻の祖父はインパール作戦で亡くなったのだという。
所属部隊はほぼ全滅、いったいいつどこでどのように亡くなったのか
伝える人は誰もいないという、ひどい戦だったそうだ。
戦死公報(死亡告知書)と空っぽの白木の箱に英霊のお知らせという
紙切れ一枚がついて戻ってきたのは終戦間近だった。
そのインパール作戦で日本軍の最も突出した到達地点がここコヒマと
南方のインパール郊外だ。
ディマプールから70㎞の山道は今は舗装されてどうにか2車線が確保される
道となっている。
しかし68年前はもちろん未舗装でがけを伝っていくような
ものだったとのこと。
今も所々でがけ崩れの補修や落石除去、橋の架け替えを行っている。
戦後この作戦を推し進めた軍司令官を含むどこかの「机上の作戦バカ」達が
日本軍はコヒマまで到達したなら何故ディマプールまで突進しなかったのか、
わずか二日の距離ではないか、というような戯言を語っているそうだが、
戦力と言える程の大きな部隊が、この険しい山道を遭遇戦に備えながら
捜索して辿っていったら1週間は優に掛かる距離である。
食料も使える自動車もなく弾も不足気味、既にコヒマまでの歴戦で
疲労困憊とあってはディマプールまでの進撃は到底人間の為せる業ではない。
物事は現場を見てから言わないと物笑いの種になる。
日本人の悪いところ、
「夢を見て現場を見ず」、
「現場の言うことを聞かずに頭だけで考えて判断」し、
そして挙句の果て
「自分でやらずに人にやらせる」
というところは昔も今も変わっていないような気がする。
O=お前が K=来て Y=やってみろ(OKY!) という言葉を何度自分も
以前の職場で海外勤務中につぶやいたことだろう。
さて、コヒマから1時間ほど登ったところで休憩。
ここまで来るとインド系の顔立ちが少なくなり、我々東アジア人とも
つながってくる東南アジア系のナガ族が優勢となる。
マーケットではシイタケや
バナナの花を売っている。
バナナの花って苦みがあっておいしいとは思わないけれどなぁ・・・
ここの人はどうやって食べるのだろう。
2時間ほど車でぶっ飛ばしたらコヒマの町が見えてきた。
山を抜けると遠くに見え隠れするコヒマの町。 太陽を浴びて輝いている。
ORCHIDという名の宿にチェックイン。
ここは前評判通りなかなか綺麗な宿だった。
おそらくコヒマでは一番の清潔感のある宿だろう。
連合軍墓地前の崖沿いに建てられており、眺めもいい。
気温27度。若干蒸し暑いが風が通るので快適だ。
チェックインのあと、早速目の前の戦没者公園に墓参に。
午後4時にはゲートが閉まってしまうので何事も早く動くことが肝要。
この墓地を含む周りの丘全体がイギリス軍の陣地
(ギャリソン高地=イヌ高地)だった。
それを大きな犠牲を払って日本軍が一旦は部分的に奪取し、そして
奪還を目指すイギリス軍との間で凄絶な白兵肉弾戦が交わされたのだという。
墓碑とその方の戦没年月日を見ると最大の激戦は68年前の5月初旬に行われたと分かる。
今ではその美しく整備された芝の上に高校生たちが放課後に散歩に訪れる。
丘の最上部には、政治的な配慮だと思うが従軍していたインド人兵士の
墓を配置し、英国本国からの兵士たちよりも高い所に葬られている。
ただ、十字架の傍にモスリムの墓というのがちょっと微妙な感じはする。
また、当時は丘の頂上にイギリスの高等弁務官邸が建てられていたのだそうだが
その邸宅のテニスコートを挟んでテニスボールの代わりに日英両軍が
手榴弾を投げ交わしたという。
これはその戦いの勇士たちを偲び、当時存在したテニスコートの白線を
コンクリートで再現したもの。
恐らく世界で一番悲しいテニスコートだろう。
この芝とテニスコートの白線と手榴弾の対比・・・何とも言葉を失う。
両軍の兵士に黙とうを捧げて町に降りる。
丘に沿って建てられた町は明るい。
土産物屋だってある。 どこも午後4時半にはCLOSEだけど・・・・
首狩りの風習の名残の首飾り。
3つ髑髏で3000ルピー。
4つ髑髏で4000ルピー。
ちょっと惹かれたが妻は絶対日本ではしないだろうからやめた。
(でも妻が人の首を切るときの装飾品にはぴったXだと・・・以下自粛・・・)
また、とても男らしいナガの服飾に心惹かれる。
槍+熊の毛とホーンビルの羽根で作った被り物を持って日本で妻に求愛を
する時の恰好としてはかなりいいと思った(最近伝統文化民芸系へと
趣味が変わってきて冗談抜きで格好いいと思う。これで自由ナガの
戦士ものの映画を撮りたいとさえ考えている。
悪いインド商人や汚職役人をやっつける痛快アクションなど。
ビデオドラマでもいい。 絶対うけると思う。
このアイデアを真似しないように!)
インド系商人がいる市場や警察の目を恐れつつ営業する露天商を冷やかして宿に戻る。
若者の多いインド。 でもその中でも特に若年層人口の多い街だ。
戻った宿は停電中だった。
でも東芝のラップトップとTATAのWiFiネット端末とインドワインと柿の種と
ポテトチップで日本のTV見ながら酒盛り。 本当に世の中便利になった。
コヒマは電気事情は悪いようで、停電が断続的に続く。
夜はLEDランタンの下でナガーランド名物の豚肉と干し牛肉とヘチマのスープ煮などをご飯と頂く。
ミャンマー料理と似て全体的に脂っこいが胃袋に収まった。
食事の途中で電気が戻る。
恥ずかしがり屋の給仕のお姉さんと話をしたら、彼女はコノマ村の出身で、
そのコノマ村というのは大変美しい所だという。
それなら是非とも明日朝早く起きて行ってみようということになり、車の手配をお願いする。
ずうずうしいオジサンたちは「一緒にコノマに帰ろう」とお姉さんを誘ったが
一緒には来てくれないとのこと。 ちぇっ。
何でもお月さんが地球に接近している時期の満月とやらでやたら明るい月夜だった。
OKY!に大共感。机上の何とかは昔から変わらないんですね。その訳に気付きつつあります。。。
by noriyuki (2012-05-09 20:48)