インドのカラオケラウンジ お笑い訪問記 [天竺編]
バンコク・タニヤのカラオケに行く前々日はデリーに出張。
かつてのDry State(酒の販売禁止)であったハリアナ州の
某所にソフトオープンしたという日系カラオケラウンジに
日本一のスーパーゼネコンの土木技術者と打合わせで行く。
そう、彼とは一度どんな人なのか、お互いの腹を探らねば
いけなかった。(ホントか・・・単に二人ともそこに行ってみたかった
だけなような・・・)
行ってびっくり、ここはまごうかたなきカラオケラウンジ。
「今年初めて」のカラオケはインドで歌うことに。
歌はDAMと表示されているが、歌の数はほぼ無限にある日本の
それに比べて圧倒的に少ないと思う。
メニュー。
ボトルはシーバス12年物が7800円。
水商売、酒は定価の3倍理論で行けば悪くは無い。
お笑いは席につくなり最初に目の前に突き出される
メニュー扉のこの文言。
大丈夫、触らないよー。
接待先の技術者は歌の趣味が渋くてジャズのスタンダードナンバー
で攻めてくる。 ならば当方の数少ないレパートリーから
Nat King ColeやMistyなどでこつこつと打ち返していく。
二人の心が通い合い、やがて温もりを帯びて触れ合うように・・・ってここは
新宿のハッテン場ではない。
懐かしのカングラトンビやインパールのマニプール州やパンジャブ出身の
コンパニオンお姉さんが水割りを作ってくれるが、もちろん会話は英会話だし、
共通の話題もないので日本人二人でどんどん歌と酒が進んで悪酔いする~。
でも、却ってこちらが気を遣ってお姉さんへのドリンク+相手の乗りそうな
話題と気持ちを盛り上げれば・・・・奇跡は起きる。
インド人お姉さん、覚えたてのAKB48を日本語で歌ってくれました!
日本人二人して目が白黒。
これは「いいもの見た感」があった。
例えれば秋の八ヶ岳登っていたら泳ぐゴンドウクジラを西天狗の
山腹で見たような感じ。
・・・インドもこうして変わっていく。 これでいいのだ。
でも、デリーがバンコクになるまでにはあと50年は掛かるだろう。
かつてのDry State(酒の販売禁止)であったハリアナ州の
某所にソフトオープンしたという日系カラオケラウンジに
日本一のスーパーゼネコンの土木技術者と打合わせで行く。
そう、彼とは一度どんな人なのか、お互いの腹を探らねば
いけなかった。(ホントか・・・単に二人ともそこに行ってみたかった
だけなような・・・)
行ってびっくり、ここはまごうかたなきカラオケラウンジ。
「今年初めて」のカラオケはインドで歌うことに。
歌はDAMと表示されているが、歌の数はほぼ無限にある日本の
それに比べて圧倒的に少ないと思う。
メニュー。
ボトルはシーバス12年物が7800円。
水商売、酒は定価の3倍理論で行けば悪くは無い。
お笑いは席につくなり最初に目の前に突き出される
メニュー扉のこの文言。
大丈夫、触らないよー。
接待先の技術者は歌の趣味が渋くてジャズのスタンダードナンバー
で攻めてくる。 ならば当方の数少ないレパートリーから
Nat King ColeやMistyなどでこつこつと打ち返していく。
二人の心が通い合い、やがて温もりを帯びて触れ合うように・・・ってここは
新宿のハッテン場ではない。
懐かしのカングラトンビやインパールのマニプール州やパンジャブ出身の
コンパニオンお姉さんが水割りを作ってくれるが、もちろん会話は英会話だし、
共通の話題もないので日本人二人でどんどん歌と酒が進んで悪酔いする~。
でも、却ってこちらが気を遣ってお姉さんへのドリンク+相手の乗りそうな
話題と気持ちを盛り上げれば・・・・奇跡は起きる。
インド人お姉さん、覚えたてのAKB48を日本語で歌ってくれました!
日本人二人して目が白黒。
これは「いいもの見た感」があった。
例えれば秋の八ヶ岳登っていたら泳ぐゴンドウクジラを西天狗の
山腹で見たような感じ。
・・・インドもこうして変わっていく。 これでいいのだ。
でも、デリーがバンコクになるまでにはあと50年は掛かるだろう。
コメント 0