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ムンバイ行 AC二等座席 [旅は道連れ世は情け]

海の近くで仕事を終えてムンバイへ。

夕方5時50分発の特急列車に乗る。
30分前に駅に行って聞けば、駅員は胸を張って"Yes, on time!"という。

それじゃぁとプラットホームに降りて待つのだが、予定の時間になっても
それを10分過ぎても・・・30分過ぎても・・・列車は当然のように来ない。

こうこなくちゃインドじゃない。 そう、これでイーンディア! 
もう慣れたけど・・・でも、何時おうちに帰れるんだよぅ・・・

マンゴーの名産地、ラトナギリの駅。
列車の代わりにたくさんのこれがプラットホームと鉄路に往来する。
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インパール訪問最終日 [旅は道連れ世は情け]

最終日はホテルの近くの英国の戦争記念墓地を訪れた。

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ここへのアプローチはゴミが散乱していてなんだけど、
公園墓地の中は英国に委託されたマニプール州がきっちりと
警備員と管理人を置き芝がきれいに刈り整えられ掃除されている。

恐らくインパール市では一番きれいな場所であるからだろうか、
中は若者のデートコースになっている。
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英国は女王の国。女王は英国国教会の長なのでその十字架が
建てられている。 米国の従軍墓地は民族的に多民族な合衆国なので、
墓地全体を代表するような大きな十字架は建前としては建てられず、
個々人の信じる宗教毎に象徴のしるしが刻まれている。
(でも、大統領は就任式の時に聖書の上に手を置いて宣誓するけど)
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ここも泣ける場所だなぁ

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ミャンマーへビザなし入国を試みる [旅は道連れ世は情け]

ブリッジ1のミャンマー側には軍の歩哨が立っており、先ほどからの
我々の動きをじっと見ていた。 その為友好橋からのミャンマー行きを
諦め、町のイミグレを自由に行き来する地元民に混ざり、ばっくれて
通過してみることに。 

果たしてチノパンにウールジャケットという、周囲からまったく浮いた
いでたちの日本人達はインド側イミグレとミャンマー側イミグレを
何事も無く通過できるのであろうか?


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日曜日はインド側の商店は殆ど閉まっている。
この頭に荷物を載せる女性はミャンマー人。
顔にタナカを塗っているのですぐわかる。


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この小便臭い道の先、車止めの遮断機の先に30mほどの監視通路があり、
その手前の左右両側にインド軍の白いコンクリ製の監視哨があり、
奥にミャンマー軍の木製の東屋の監視所がある。

最初の10m。

インド側無事通過。 

中間線を人々に交じって歩いて越える。 


あと10m。


ミャンマー側

あと5m


・・・あぁ捕まった。

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インパールからミャンマー国境の友好鉄橋へ [旅は道連れ世は情け]

朝4時起床。知らないうちに蚊に数箇所食われていた。
その血を吸った蚊をいつのまにか潰していたらしく、シャツには
ぺったんこになった蚊が血の染みと共にくっついていた。

湯を沸かし、タイで買った日清の焼きそばをかきこみ6時出発。 
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昨日から借りているインド・マヒンドラ自動車の
BORELOというディーゼルジープ。
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悪路にはこれが一番。

NH(ナショナルハイウェイ)39とNH102をたどる。

最初の30kmほどは平坦な田舎道。土木工事も楽そう。
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風景は水田と山。 40年前の伊勢原あたりの光景に似ている。


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Kakchingの町を過ぎてすぐの警察チェックポイントがある
Palelの集落から先はぐっと道幅の狭い山道となる。 
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ここも日本軍の第二次世界大戦中の最遠到達地点の一つ。
33師団はこの山から降りた地点にあった英軍の飛行場陣地に
何回も攻め込んだがついぞ抜くことができなかったという、
日英の兵隊の血が流れた因縁の地である。


山道に入ると折り返して標高を稼ぎ、そして両側の切れた尾根伝いに
道は日本軍の退却路を東へ進む。
急坂、更に舗装が悪くかなりの揺れ、当然速度も
ぐっと落ちるはずのところ、ドライバーは積極的にぶっ飛ばす。
結構これは怖い。

だいぶん上にあがってきた。いつの間にか雲が下に見える。
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予想してはいたがここのマニプール州ルートは軽便鉄道ならまだしも
貨物鉄道敷設は無理だ。次回ナガーランド州コヒマの北回りを
検討することとする。 こうして一旦見切ればあとは観光旅行である。

しかし、この区間をなんとかしないとデリーからインドを横断して
ミャンマー、そしてタイからベトナムを経て中国、北朝鮮、
韓国釜山までのアジアの鉄道が作れない。 

東京から新幹線、下関から連絡船に乗り、釜山から鉄道でデリーまで
行く夢のアジア鉄道旅行が可能になるのは20年後くらいだろうか。 
一番のネックは板門店から少し先のあの辺りだが、あそこの
ボトルネック解消にももうそれほど長くは待たされないだろう。

本日目指すはインド・ミャンマー国境。

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雛祭り・インパール訪問 [旅は道連れ世は情け]

かつての職場の大先輩・元社長のテルさんとマニプール州に実地踏査。
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今回の訪問目的はインド北東部-ミャンマー間の道路事情と
社会環境調査だが、個人的には他の目的もある。

ここは第二次世界大戦中に日本軍の到達した最前線である。

妻の祖父も世に言うインパール作戦で亡くなったという。 補給が無い負け戦の
混乱の中で所属部隊はほぼ全滅。遺骨や遺品など帰って来ようもなく、
彼のなきがらは今もこのインドミャンマー国境の大地のどこかにあるはずだ。 

遺骨代わりに戦死公報の紙をお墓に納めたあと、若くして遺された妻の祖母は
一旦嫁に出たからには比較的裕福だった実家の世話にはなりたくないと
大分大学の学生寮の寮母さんとして働き始め、二人の子供を育てたのだという。

娘時代は常盤のデパートの裏のお屋敷で蝶よ花よと育てられ、東京で女学校まで
出たが、戦争のおかげで苦労の多い人生を送った祖母も数年前に他界した。

誰に知られる事もなく死んでいったであろう妻の祖父の最期の地へ行って
弔意を表す事もできれば行いたいと思っていた。

一昨年まではこの州を含むインド東部四州は治安と民情が悪くて外国人の
立ち入りには制限がかけられていたのだが、社会の安定と共に一般外国人にも
開放されることとなった。

デリーからインパール行きの一番機はエアインディアである。
朝の7時10分デリー発、途中アッサム州のバグドグラ空軍基地上空、
そしてグワハティ空港を経由してインパールまで3時間20分。

ネパール側の雲の上に頭を見せるカンチェンジュンガが懐かしい。

20年前のIndian Airwaysの頃のそれとまったく変わらない朝食も懐かしい。
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20年以上寸分違わぬ同じメニューを出し続けるこのセンス。
インド5000年の歴史の上ではわずか一瞬のことかもしれないが。

着いた。
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インド・飛行機の緊急避難説明図 [旅は道連れ世は情け]

日曜日に行きはスパイスジェット、帰りはインディゴという
エアラインに乗ってデリーからアーメダバード1100km日帰りで往復。

普段は非常時の脱出方法など見もしないのだが、この日は
機体がいつものB737ではなく、エアバスのA320だったので
非常口を確認したら、可愛い絵が載っていた。

いったい、日本人のインド人観というもの、特に中年過ぎ以上の
年齢の人はインドカレーのこの芦屋雁之助のイメージが
濃く残されている。 

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でもターバン姿と勘違いしてはいけない。 
これはターバンではないのだ。


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魚の山 豊穣の海 [旅は道連れ世は情け]

下駄履き飛行機で降り立った島はサンゴ礁隆起の土地。
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島一つがそのままWホテルというリゾートになっている。


桟橋から海を見ると、小さな魚が大群をなして泳いでいた。
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時に群れは形を変えて大きな影がダンスを踊るように
海岸をゆっくり動いている。海面から盛り上がって少し山の様に
見えるのが凄い。 豊穣の海。


最近ダイビングを覚えて食べられない魚も好きに
なった妻もしばし見とれる。 
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魚が動けば妻の巨Xも揺れる・・・

人生一回はモルジブの水上コテージに妻をつれてきてあげたかった。
前回は16年前にTVとラジオの仕事で来たのだった。 
背広姿で新婚さんに交じって水上コテージに泊まり、モーターボートで
毎朝出勤したのだった。

・・・という訳で今回はこんなお部屋に宿泊。

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2011デワリ休暇は下駄履き飛行機で [旅は道連れ世は情け]

インド正月デワリ。
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今年は26日から始まった。 吉祥紋を各戸の入り口に色砂で描く。

愛妻が日本から遅夏休みを取り、お煎餅を持ってきてくれたので
よしよしと頭を撫でて、下駄履き飛行機で一緒に海に行くことにした。
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しかし、この下駄履き飛行機、ドイツ系の女性コパイが操縦するが・・・・
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モンスーンのムンバイ 観光名所を巡って [旅は道連れ世は情け]

出張でインド最大の商業都市ムンバイへ。

今はモンスーンが来ており雨季である。
雨が降ったり止んだり、驟雨になったり。
9月までこの雨季が続く。

この町には何度も、いや、二、三十回は来ているのだが
ついぞ観光というものをしたことが無かった。
TV局やら映画撮影所やら学校やらプロダクション等を回って
ばかりいた。 デリーと違ってここはビジネスの町だ。 

で、週末の滞在を活かして旧市街へ足を伸ばす。 
一緒に日本から来ている同僚はお腹を壊してダウン。 
そのため一人で旧市街を回ることに。

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先頃世界遺産に登録されたチャトラパティーシヴァージターミナス(CST)。
イギリス統治時代のシンボル的な建物。

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変わるハイデラバード IT City [旅は道連れ世は情け]

黄ばんだ手術着に袖を通し、石鹸で手を洗っただけで(殺菌しない!)
手術室に入ってオスマニア総合病院で癌の手術に立ち会ったのはもう15年前。
あの頃はこのあたりは巨岩のごろごろする丘だった。
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ITの集積基地を創るんだ、と大学の先生に言われてもそれが
どういう風景をつくりだすのかイメージが湧かなかった。
誰かがあの頃から確たる基本都市設計をして、それに沿って
着々と建設を進めてきた。

15年ぶりに訪れたこの場所に建っているホテルのデザインは
信じられないほどに近代的だった。

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